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広島地方裁判所 昭和47年(わ)504号 判決

被告人 田中信行

昭二七・二・一二生 農業

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四五年一二月名古屋市の名神汽船株式会社に入社し、主として遠洋船の甲板員として働いていたが、昭和四七年三月中旬から融通船員の甲板員として東京都にある金成汽船株式会社所属の汽船金静丸(一二、二七二トン)に乗り組むようになつた。同船が同年四月七日名古屋港を出港し、米国のニユーオリンズ、ボルチモアに各寄港したのちアフリカ大陸南端を廻つて同年六月二日(現地時間、以下すべてこれに従う)同大陸とマダガスカル島間のモザンビク海峡を北方に向け航行中、被告人は同日午後一〇時ころから同僚の甲板員田宮竹四郎の船室において同人他一名とともにウイスキーを飲み始め、その後甲板員原神児(当時二一年)の船室に移つて同人を加え、さらに甲板員中山道郎、同平松末光、甲板長吉北虎王丸の三名をも呼び集め、雑談しながらウイスキーなどを飲んでいるうち、翌三日午前二時ころ、原神児が当時報道された赤軍派学生によるテルアビブ空港乱射事件の犯人中に同郷の熊本県出身者がいたことから「熊本県人には大和魂がある」などとはしやぎながら自慢し、被告人が「三重県人はどうだ」と尋ねたところ「あなたには関係ない」とそつけなく答えたため、被告人はこれに立腹し、バスタオルを腰に巻きつけただけの裸体でベツドの上に座つていた同人に近より、やにわに手拳でその顔面を一回殴打し、「三重県の根性を見せてやる」と怒号し、前記吉北、中山、平松の三名に制止されるやこれを振り払つて再び右原の顔面を手拳で殴打し、さらに同室内テーブル上にあつたガラスコツプ、ウイスキーびんなどをテーブルの縁で叩き割り、その破片を掴んで数回にわたり同人に突きかかろうとし、前記吉北ら三名に阻止されたうえ同船室外に押し出されると、一たん二部屋隔てた自室に戻りケース入りのシーナイフ(長さ約十数センチメートル)を持ち出し、原の船室前で前記平松にこれを取り上げられたので、今度は飾りナイフ(長さ約二〇センチメートルで刃のついていないもの)を持ち出して再び原の船室に赴き、同室内ソフアの上に茫然とした様子で座つていた原に向つて「殺してやる」などと言いながら突きかかり、前記吉北ら三名に阻止され再度同船室外に押し出されると、同人らに「原と話をさせろ」と頼んで同室内に入り、原の隣に座るや否や同人の頭髪をつかんでゆさぶるなどの暴行を続け、被告人の前記暴行により極度に畏怖し半ば茫然としていた原が、その攻撃の余りの執拗さにたまりかね、前記吉北ら三名が被告人を廊下に押し出しながら「逃げろ、逃げろ」と叫んだのを聞いてやにわに船尾方向に向かつて小走りに逃げ出すや、被告人はなおも暴行を続けんものと前記吉北ら三名の制止を振り切り約五・五メートル遅れて原の後を追つて駆け出し、途中左舷浴室からデツキブラシを持ち出したうえ、機関室をとりまく廊下を約五〇メートル余り追い駆けてほぼ一周し、同人を右舷上甲板のウインチ室、船室およびポンツーンに囲まれた地点に追い込み、同人をして止むなく同所右舷のブルワークを越えてこれにすがり船体外にぶら下るような態勢に追いつめ、被告人が上甲板船室外に至るドアを開けて同人まで約五メートル余りの地点まで迫つた同日午前二時一三分ころ同人を前記態勢から海中に転落させ、よつてそのころ南緯二二度二八分東緯三五度五七分、アフリカ大陸東岸から二三浬(約四二・六キロメートル)付近の海中において同人を死亡させたものである。

(証拠の標目)(略)

(因果関係について)

弁護人は、被告人の暴行行為と原が海中に転落、死亡したこととの間には法律上の因果関係がないと主張する。その要旨は、原は被告人に追われて船室外に通ずるドアを開けて右舷上甲板に出たものであるが、同所からは船首方向に通ずる二つの通路があり、また士官室のあるプープデツキに通ずる階段もあつて、そのいずれかへ逃走するのが通常であるにもかかわらず敢えて右舷ブルワークを越えて船体外にぶら下つたものであり、果して被告人から逃れるためかかる行為に出たものか否か疑問であるのみならず、仮に逃走のためであつたとしても極めて異常なものであり、被告人はもとより通常人の予見可能な範囲を越えた行為であつて、被告人にはその結果起つた原の転落および死亡の点については責任を問いえないというものである。

(証拠略)によれば、被告人は判示のとおり些細なことに立腹し、自室ベツドの上で裸体にバスタオルを巻きつけただけの恰好で座つていた原の顔面をいきなり手拳で二回にわたり殴打し、しかもその度にかなりの鼻血を出させている点からして右各殴打がいずれも相当強度のものであつたと推測されるうえ、吉北、中山、平松らの制止する間隙をぬつて手当り次第にウイスキーびん、ガラスコツプ各数個を叩き割つてその破片で原に突きかかろうとし、果ては二度にわたり自室からナイフを持ち出して一度は同人に突きかかるなど、極めて執拗かつ一方的で相当度の暴行を加えており、その結果原はいわば茫然とした様子で抵抗の気配すら全く示しておらず、証人吉北に対する当裁判所の尋問調書には、原はまるで赤ん坊のようで腰が抜けたのではないかと思つたとの供述すらあり、原が極度の畏怖状態にあつたことが推認される。さらに前記各証拠ならびに受命裁判官の検証調書によれば、原は自室から甲板部船室前廊下に出て船尾方向に裸足のまま逃げ出し、二、三歩走つたところで下半身を覆つていたバスタオルをも落し全裸のままで逃走を続け、これに五・五メートル遅れて被告人が追跡を始め、当初はすぐに追いつきそうな様子であつたところ途中被告人が左舷浴室に入り棒ずりを持ち出したためその距離は少し開いたが、原の後を正確に追つて右舷船室外に出ている点からして、両人の距離は原が右舷船室外に出る時点でせいぜい一三~一四メートル以内にあつたと見られその追跡行為はかなり緊迫した状況で行われていたものと考えられる。被告人に追われた原は船室外に出るドアを開けて右舷上甲板に出たが、同所はその前方中央にポンツーンが高く壁のように立ち塞がり、左手はウインチ室、後方は船室の壁によつて遮られ、逃げ道としてはポンツーンの両側を船側を船首方向に一直線に延びる二つの通路および後方プープデツキに通ずる昇りの階段があるが、右二つの通路はその途中に姿を隠す遮蔽物もなく、またその幅も狭いうえ本件当時は積荷(自動車)を止めるワイヤーロープの端が出ており必ずしも逃走は容易ではなかつたと認められる。このような場所に追い込まれた原が右舷ブルワークを越え船体外にぶら下つたのは、他に逃げ場が全くなかつたというよりも、被告人の執拗な追跡から逃れるには、同所に身を隠し被告人をやり過そうとしたためと思われるが、かかる行為が最も合理的な逃走方法とは言えぬまでも、前記のとおりの現場の状況、被告人が執拗に相当高度の暴行を繰り返したうえさらに追跡に出た事実、原の畏怖の程度および追跡の間隔などの諸事実ならびに原が当時相当飲酒しており必ずしも合理的判断を期待しえぬ状態にあつたことなどを考えると同人としては誠に止むを得ぬ逃走方法であつたと認められる。

このような態勢にあつた原が手を離して海中に転落した理由については明確な証拠がなく、検察官は原が前記のような態勢でぶら下つていたブルワークの手前約二メートルの上甲板上に血のついた足跡が数個あつた事実などから被告人が同所まで行きさらに暴行を継続せんとする気勢を示すかあるいはより直接的な原因を加えることによつて同人を転落させたと主張するものと解されるが、右血痕が果して被告人のものであつたか否かは明らかでなく(被告人が足の裏を負傷していることは事実であるが、原の船室のガラスの散らばり状況から見て原も足の裏を負傷していたことは十分考えうるところである)仮に被告人のものとしてもその付着時期が何時かは確定し難い。証人吉北虎王丸に対する受命裁判官の尋問調書および受命裁判官の検証調書によれば、被告人が船室外に通ずるドアを開けて上甲板に出てから同証人が被告人の後を追つてドアを開けその入口付近に立つている被告人の姿を認めるまで僅か四秒前後しかなく、この間に被告人が前記血痕付着地点まで行き再び右ドアの入口まで引き返すというのは時間的にも難しいうえ、行為としても不自然である。他方被告人は一貫して自分がドアを開けて出たとき原と顔が合い原はニヤツと笑つてそのまま姿が見えなくなつたと述べているが、仮に被告人が真実このように目撃したとしても原のおかれている状況からして真実同人が笑つたものと考えることは到底できない。原は過失により手を滑らせたか、飲酒していたため身体を支えきれず転落したとも考えられるが、前述のとおり隠れて被告人をやり過そうと考えていたにもかかわらず被告人と顔が合つたため驚いてあるいは諦めて手を離したものと考えるのが最も自然であると思われる。しかし、前述のとおり同人は被告人に追われて止むを得ずこのような海中に転落する危険性の極めて高い不安定な場所に逃れたものである以上、同人を離した直接の原因が右のいずれであるとしてもなお同人の転落と被告人の暴行行為(追跡行為を含む)との間には法律上の因果関係があるものといわなければならない。

(原神児の死亡の事実について)

本件公訴事実は傷害致死であるが、原神児の死亡の事実については直接これを証明する証拠がないので右事実の認定につき付言する。前掲各証拠によれば原の転落直後被告人および吉北からの報告にもとづき、ほぼ乗員全員が船長の指示でその後約一二時間にわたり付近海上を懸命に捜索したがついに同人を発見するに至らなかつたことが明らかである。松枝佐八、赤坂保太郎の検察官に対する各供述調書によれば、原の転落部位が右舷後部のスクリユーまで僅か四〇メートル足らずの地点であることからして同人がスクリユーに巻き込まれた可能性は相当高いものと考えられるが、仮にそうでないとしても当然金静丸は海岸(アフリカ大陸東岸)から二三浬(約四二・六キロメートル)離れて航行しておりかつ海上は相当うねりが強く、同人が相当飲酒していたことに照らし海岸まで到底漂着しえない状況にあつたと認められ、また司法警察員作成の捜査報告書によれば昭和四七年七月二五日まで原の生存を窺わせる情報は捜査機関に一切入手されておらずまたその後も現在に至るまでそのような情報もないと考えられ、右事実に照らすと、同人がスクリユーに巻きこまれて死亡したか、あるいは溺死したかその死因がいずれであるかは確定しがたいが、同人が死亡した事実は合理的な疑を入れないものと認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するところ、所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、なお情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

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